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ハマのおじさん、工藤公康、「故藤生将雄、強いダイエー、影の功労者」
工藤公康、野球を知っている方で名前を知らない方はいないでしょう。

今年で43歳、球界最年長ながら気持ちも新たに、横浜で、”ハマのおじさん”として一からスタートする中高年の鏡です。

今回も引き続き、日経新聞3月22日夕刊、こころの玉手箱第4弾最終回、「故藤井将雄投手、強いダイエー、影の功労者」、をご紹介します。


4月1日の初登板、打たれましたね~、メッタ打たれました、期待していたのに残念です。
次回の活躍を期待します、必ずやってくれるでしょう。


ダイエーの1999年の日本一の影の功労者は、藤井将雄だった。

この年、藤井はセットアッパーとしてフル回転の活躍をして、優勝の原動力になった。

このような書き出しから始まる今回のコラムは、工藤の藤井将雄に対する思い入れを強く感じます。

当初、常勝西武から弱小ダイエーに移籍した工藤は、自分の真意を若い選手に伝える事が難しくて、中々馴染めず、チームの中で浮いた存在になっていた。

その様な工藤を藤井は、若い選手の中の間に入って、チームの風通しをよくし、戦える軍団にしてくれたのだ。

優勝パレードの次の日、藤井のがんが見つかったのだ。

翌年、巨人にFA移籍した工藤は、古巣ダイエーと日本シリーズを闘う直前に藤井の訃報を知り、その時の自分の精神的に大きく揺れ動いた状況を切々と語っています。


その時の工藤の気持ちを、ウィキペディア(ネット百科事典)に次のような言葉で語られていました。

巨人移籍後、ダイエー時代の同僚であり公私共に親交が深かった藤井将雄が亡くなったが、シーズン中にも拘らずスーツ姿で争議に参列。

ダイエーのユニホームを着た選手と共に棺を担いだ。

当時藤井の本当の病状については、関係者でもごく一部にしか知らされておらず、工藤は後「本当の病状を知っていたらFA移籍はなかったかもしれない」と語っている。

新聞記事は、スキャナーでは容量がでかすぎなので、デジカメでアップしながら取りました。

見にくいですが拡大しながら見てやって下さい。

工藤公康no13



工藤公康no14



工藤公康no15



工藤公康no16



最後の言葉、、

ダイエーが強くなったのは、藤井がいたからと皆が分かっている。

あいつが野球を出来ない分まで僕が頑張る、と手を合わせたときに誓った。

その気持ちを持って1年でも長くやっていこうと思う。

いいですね~。

工藤公康、これからも皆で応援するから頑張っていこうね。

工藤公康のプライベートのお話を、少しご紹介します。

工藤の大ファンであった現夫人を工藤に紹介したのは、西武の同僚であった清原和弘である。
工藤夫妻にとって清原こそ「愛のキューピット」であった。

球界では有名な子沢山投手である(2男3女)。

FA宣言による巨人入団の際、長島茂雄が工藤の自宅へ挨拶に訪問した際、工藤の子供が「セコムのおじちゃん」と言った。


直球勝負・工藤公康ひとり言ブログ 結構面白いですよ。

http://www.tokyoheadline.com/blog/kudo/
見てやって下さいね。

次回も、もっと内容の濃いブログをご紹介しますので楽しみに待っててください。
お楽しみ。

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