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マッターホルン攻略、妻に「われ北壁成功せり」 組んだ仲間、翌週墜死
1956年、槙有恒隊のヒマラヤ山系マナスル初登頂の成功に触発され、にわかに登山者が増加した。


何故山に登るのかの問いに登山家ジョージ・マロリーは「山がそこにあるから」と言ったが、吉野さんの答えは明快だ。


「そこに希望があるからだ。だから僕は、涙して歩く」と。


「五文足のアルピニスト」と言われる、新田次郎の小説「栄光の岸壁」のモデルとなった芳野満彦氏のコラム第4弾です。


日経新聞3月15日の夕刊、ひとスクランブル、「人間発見」のコラムです。

1950年から徳沢園冬季山小屋番を始めてから、吉野氏はその徳沢園を足場に穂高蓮峰で徹底的に岩にくらいついた。


積雪期の岸壁が嬉しくてしょうがない。
岩登りは3点確保が基本、片足は使わない場合が多い。

腕は人の数倍も鍛えていたので、小さな足でもさほど苦労はない。

彼はこの時期、北アルプスの岸壁を積雪期を含め、次々に初登攀しています。


1957年3月、前穂高四峰正面岩壁、積雪期初登攀。

パーティー、前園陽太郎、久野泰山、加藤幸彦、高田光政、芳野満彦。


1957年8月、北穂高滝谷グレポン、初登攀。
パーティー、中村保、中村正、芳野満彦。


井上靖の「氷壁」でのステージにもなった、あの有名な滝谷です。


1958年1月、北岳バットレス中央稜、積雪期初登攀。
パーティー、奥山章、甘利仁郎、吉野弘、小板橋徹、芳野満彦。


1958年3月、剣岳チンネ正面岩壁、積雪期初登攀。
パーティー、吉野弘、田中浩司、芳野満彦。


1958年12月、前穂高北尾根屏風岩中央カンテ、積雪期初登攀。
パーティ、吉野弘、小板橋徹、吉野満彦。


パーティーのメンバーをみると、この時代のそうそうたるトップメンバーです。
特に吉野弘氏とは3回組んでますが、「垂直に挑む男」の著書で有名な吉野弘氏です。


日経新聞3月15日の夕刊、ひとスクランブル、「人間発見」のコラムの紹介す。


芳野4-1



芳野4-2



芳野4-3



芳野4-4



芳野4-5



1962年に結婚し(苗字が服部と変わります)、妻に「山に行く事だけは許して欲しい」と釘を刺した。

国内の岸壁を登り尽くすと翌年、身重の妻を残しヨーロッパアルプスのアイガー北壁へ日本人で初めて挑戦する事になった。

アイガーというのは、スイスのベルナー・オーバーランドにある標高3974mの山。

アルプスの中では、それほど高い山ではないが、その北面の岸壁は、標高差実に1800m、頂上から山麓まで文字通りナタで抉り取ったような凹上の垂直となっていて、夏でも雪と氷で武装した第岸壁である。



更にこの岩壁の大きさと険しさは、アルプスの中でも有数のもので、同じくスイスのブァリスにあるマッターホルンの北壁、フランス・アルプスのグランド・ジョラスの腹壁と並んで「アルプスの三大北壁」といわれています。



最初の年、1963年大蔵大八氏とパートナーを組1000m附近まで達したが悪天候の為撤退、
翌年も悪天候で撤退、三度目となる65年は、渡辺恒明氏と組み最初はアイガーを目指したが、
目標を急遽マッターホルンに変更した。



アイガーは登頂を目指す日本人がひしめき、彼らと先人を争って登るのが嫌いだったからだ。

芳野満彦氏の著書「われ北壁に成功せり」に詳しく書かれています。

我北壁に成功1



日本人のだれも成しえなかったアルプス三大北壁の一つの山頂に、2日間のビバークを経て達したのです。


二人とも後から後から流れ出る涙を止めることが出来なかった
8月6日の午前10時45分、55時間25分の苦闘だった。


妻に電報を打った。


当時流行の007映画「ロシアから愛をこめて」をもじって、
「ツェルマットより愛をこめて、我北壁に成功せり」

かっこいいですね、奥さんと2歳になる娘さん、美穂さんあてに感謝の気持ちを込めて。


パートナーの渡辺恒明氏は、この困難なマッターホルンの1200mの氷の壁をほとんど一人でトップを引き受けて、芳野氏の痛めた足をカバーしてくれたそうです。


芳野氏は昔の凍傷で切断した足先から、血が噴出してきていて、歩いて降りてくるのも大変だったのです。


それでも最後頂上まで20、30mのところで、「芳野さん疲れたから代わってください」と言って
自分を立ててくれたのが、とても嬉しかったそうです。


その一週間後の悲報だった。

このあと、芳野氏は足の負傷が酷いのでアイガー行きを断念、渡辺恒明氏はあらたに高田光政氏とパートナーを組んでアイガー北壁に挑戦しました。



快調に登っていた二人でしたが、頂上も間近で渡辺氏が滑落、高田氏も負傷したが、高田氏一人徹夜で救助を求めに降りたが、残念ながら間に合わず渡辺氏は墜落して亡くなりました。


偉大なアルピニストに、合掌!!!ご冥福をお祈りします。

マッターホルン登りながらで渡辺氏が撮った芳野満彦氏の写真です。

我北壁に成功2


芳野満彦氏がsけっ治したマッターホルンと頂上の十字架です。

マッターホルン1


マッターホルン頂上



今回はココまでですが、次回、芳野満彦氏シリーズ最終回となります。

内容濃くやりますので、お楽しみに。

久し振りに山の本を読み返しています。



芳野満彦氏 山岳画展 ギャラリーです。

非常に綺麗なパステル画です。

是非ご覧下さい。


http://www.gallery-eizo.gr.jp/artists/yoshino/index.html


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【2007/05/23】  この記事のURL | 山岳画家芳野満彦 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
厳冬期徳沢園山小屋番に、母に見せたかったモルゲンロート
芳野満彦さんの原点である冬の八ケ岳遭難から2年後の1950年11月、彼は上高地にいた。

山への憧憬(しょうけい)はやまない。

高校を休学し涸沢の玄関口、徳沢園の冬季小屋で小屋番として半年間、社会と隔絶された孤独な生活に入る事を選んだ。


「五文足のアルピニスト」と言われる、新田次郎の小説「栄光の岸壁」のモデルとなった芳野満彦氏のコラム第3弾です。


日経新聞3月14日の夕刊、ひとスクランブル、「人間発見」のコラムです。


今回は、来たアルプス上高地からほど近い、山男たちのベースキャンプとなった徳沢園冬季小屋の小屋番を、晩秋から初夏までフルで三度、途中を含めると11回、やらせてもらった。


芳野光彦氏の著書「山靴の音」やっと見つけました。

山靴の音1



山靴の音2



山靴の音3



本の中の一節、小屋に入った最初の日、、

11月18日

徳沢園の人々は小屋じまいをすませて小雨を降る中を里に下っていった。
私はこの日の来るのを長い間じっと待っていた。

この日から本当の小屋番となったのだ。


犬と共に囲炉裏端に座り、じっと榾火を見つめ小屋晩生活第一日目は静かに暮れていった。
18日夕刻より降り続いた雪はとうとう根雪となり、徳沢園の小屋の周囲はまったく白銀の世界と化した。


この「山靴の音」は、我ら若き日頃の山やのバイブルでした。


本の中にもあるように、吉野氏はまれに見る絵心を持ったアルピニストで、素敵なスケッチと散文詩は、読むものの心を強く揺り動かしたのです。


1月15日


あまりの寒さに思わず飛び起きてしまった。


水銀柱は氷点下28度示している。
室外は32度だ。


久方ぶりに見るモルゲンロート(朝焼け)、神の生まれ出る姿、ただ一面に氷と雪、そして大雪原が、氷の岩峰が一瞬にして形容のしがたい美しい真紅の絵具で塗りつぶされる。


その瞬間は何人といえども頭が下がるだろう。
いったいこの景色を何人の人が知っているだろう。
おそらくこの姿に接した人は数える人しかいないと思う。


私にはこの神々しいまでに美しく厳かな光景を、人目でも見せたい人がいる。
いつも私が山に出かける時、心配そうな顔をして必ず家の門まで贈ってくれる母親だ。


いつも心配してくるる母親にこのモルゲンロートの一瞬間を見せたら、いったい何と言うだろう。
一度でいいから見せたいものだ。


中々名文ですね~。
何度読んでも新たな感動がこみ上げてきます。


何はともあれ新聞記事を紹介します。


芳野9



芳野10



芳野11



芳野12



芳野13



厳冬期の越冬生活が「山に生きる」不屈の精神を鍛えていった。


山小屋で大学の山岳部や山岳会の仲間と心を通じ、冬の穂高を自らも登った。
長い孤独を一匹の犬「ゴンベー」が癒してくれた。

「ゴンベーと雪崩」-犬とアンザイレンした話ー

ゴンベーは駄犬である。
だがゴンベーは大したものである。
ぼくはゴンベーが大好きだ。

で始まるエッセイは、芳野満彦氏とゴンベーの心暖まるジョークの効いたお話です。


前穂高三峰フェースに挑む時、一緒ついてきた。

ちょっとした不注意でザイルがゴンベーに引っかかり、標高差300m、距離にして1000mも転落してしまった。


死んだと思った。
ところが一つの黒点がまっしぐらに駆け上がってくる。
ゴンベーは生きていた。

人なら一日かかるところを15分で登ってきた。
荒い息に痛々しい姿に「勘弁してくれ、な、ゴンベー」僕は謝った。


そのあとゴンベーと一緒に縦走を続け、、今度は表層雪崩に巻き込まれた。

いくらゴンベーと読んで探しても見つからず、今度こそは本当に駄目かと思って、上高地の徳沢園の親父に報告すると、


「おれはナ、ナダレに会って死ぬような犬は飼わないようにしているんだッ!」
「え?じゃゴンベーは?」
「いま、おれの前でピンピンしているワ」


-僕は体がヘタヘタト崩れそうに嬉しかった。

ゴンベーは駄犬である。
だがゴンベーは大したものである。
ぼくはゴンベーが大好きだ。

中々 いいでしょう。

満彦君とゴンベーの心暖まるお話でした。


次回も「五文足のアルピニスト」第4弾、いきまっせ!!
乞う!ご期待。


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【2007/05/14】  この記事のURL | 山岳画家芳野満彦 | CM(0) | TB(2) | ▲ top
三浦半島そぞろ歩き、神武寺から鷹取山へ
三浦半島そぞろ歩きシリーズです。

連休の真ん中、5月4日に行ったんですが、その後連日出勤とアフィリのメルマガ申請もやったので、目一杯時間を取られアップロードが遅れました。


このような紀行文は、すぐアップロードしなくちゃいけないのに御免なさい。


今回もうちの奥さんと一緒の二人そぞろ歩きです。
金沢文庫駅スタートなので、朝は超ゆっくりの11時半過ぎ、お昼頃でした。

本日も快晴で最高のそぞろ歩き日和です。
さあ、出発しましょう。

逗子駅行きの電車で文庫駅から三つ目、神武寺駅で降ります。

神武寺駅



神武寺駅から神武寺の山の中まで行くには、表参道と裏参道二通りの山道があります。

今回は山の風情の多い裏参道を行く事にしました。
京急の線路に沿っていくと神武寺行きのたて看板が有りました。


タテ看板


本当に近いですね、途中いろんなものを見ながらゆっくり歩いて約30分です。

山の手前の老人ホームで、沢山の鯉のぼりを見ました。
多分、お孫さんからの差し入れでしょうね。

皐月空に沢山の元気よく泳ぐ姿は、まさに壮観です。
これだけ沢山有ると自分も元気付けられ、嬉しくなりました。


鯉のぼり1


鯉のぼり2


急に山肌が狭り沢道沿いにいくと、急に深山幽谷の態の山相に吃驚します。
住宅の密集する神奈川県のさなかにこんな空間があるとは、、、、

しばらくして神武寺の山門に到着します。


山の中腹に立つ神武寺は、創建724年、かなり古いです。

簡単に神武寺をご紹介しましょう。

神武寺説明版



医王山来迎神武寺は天台宗、高取山登山道の中腹に建てられています。

古くは、鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡」にも源実朝が参拝した事が書かれています。
関東でも比較的由緒の古い名刹であり、自然環境のよく保たれた山岳寺院の面影をとどめています。


本堂は薬師堂で、室町末期の様式を持つ建築です。

神奈川県の重要文化財にお指定され、堂内の厨子には薬師如来坐像・日光菩薩像・月光菩薩像が納められ、他に十二神将像が祭られています。


薬師堂です、立派でしょう。

薬師寺



三浦半島八景でも有名な神武寺の晩鐘を紹介します。


神武寺の晩鐘


三浦半島八景



ここから小1時間、気持ちのいい尾根道を鷹取山山頂の展望台目指して歩きます。

途中、横浜横須賀道路のトンネルの上を通り、山頂間近の岩場には結構長い鎖が下がり、吃驚しました。

頂上そばの砕石場跡には、ロッククライマーが数人岩場にぶら下がっていました。
ロッククライミングの格好なゲレンデなのでしょう。


ロッククライミング1


ロッククライミング2


ロッククライミング3




岩場にはハーケンによる無数の穴が残り、湘南の海に近いとは思えない、一種独特な風景でした。

展望台広場で1時間かけて昼食を取りました。
浦賀の海を見ながらのおにぎりが、とっても美味しかったです。

前回約1時間かけて京急田浦駅方面を歩いたので、
今回帰り道は、磨崖仏をを通って京急追浜駅に向かいます。

20分位で磨崖仏に到着します。

昔の石切り場に作られた磨き崖仏(弥勒大菩薩像)は、昭和40年頃厨子の彫刻家によって彫られたそうです。


磨崖仏


磨崖仏説明版



ここからは、追浜駅にまっしぐらです。

約20分ぐらいで山を降り、湘南鷹取団地の街中を歩き続けると追浜駅となります。

12時に出発し、4時頃には帰れる本当に身近な三浦半島そぞろ歩きでした。

三浦半島、万歳!!!

次回、またのお楽しみに!


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【2007/05/09】  この記事のURL | 三浦半島そぞろ歩き | CM(0) | TB(0) | ▲ top
三浦半島そぞろ歩き、津久井浜より武山ハイキング、三浦富士巡り。
昨年11月以来、久方ぶりの三浦半島そぞろ歩きです。


昨日4月29日、天気快晴で最高のそぞろ歩き日和でした。
いつものよう、うちの奥さんと二人で、自分とこの会社の事務所を11時頃出発し、京急金沢文庫駅から約30分ぐらいで津久井浜駅に到着します。

三崎口駅の2個手前です。
三浦半島はいつ行ってもアプローチ時間が短いので、朝のスタートがゆっくり出来非常に楽珍です。

京急津久井浜駅前です。


津久井駅


駅前案内板


津久井浜駅より約2時間位で、標高約200M位の武山の山頂に到着します。

山頂には武山不動院が祭ってあり、江戸時代に回線問屋の船頭から浦賀水道に入る目印になり、漁師には漁場の位置を確認する「山たて」の場所として、三浦半島一帯の人々から「武山のお不動さん」と厚く信仰されてきました。


早速歩いてみましょうね。

駅からすぐかぼちゃ畑や、ソラマメの畑の間をゆっくり進みます。
畑の中を歩くのも、中々乙なものですよ。


道の脇に古ぼけた赤い鳥居があり、その奥にちょこっと座った祠に静けさを感じます。

古い赤い鳥居


祠へ3


    
暫く歩くと道端に道祖神の石仏群が有りました。
古い時代の馬頭観音、庚申塚と思います。

石仏1へ4



石仏2



石仏3



途中、津久井浜観光農園のハウスで、今が旬のイチゴ狩り、真っ最中でした。
6月、7月はスイカ狩りや、メロン狩りが十分楽しめます。
山の分け入る口にこんな変わった赤マント地蔵を見つけました。
可愛さと何か不思議な感じを受けました。


赤マント地蔵


こんな低い山でもこのような急な登りが約10分間続きます。
山の中は気温が5℃位低く、ヒヤァッと寒いくらいです。


急な登坂



さあ、頂上です、武山不動にお参りしましょう。
静かな山の中から急に俗世界に戻った感じでにぎやかになりました。

武山参道



武山不動院



武山説明版



また武山不動は2000本のつつじでも有名で、4月の連休はいつも咲き見ごろとなりますが、今年は早めに咲き終わりの花になっていました。

つつじ1



つつじ2



展望台からの眺望は三浦海岸をはじめ、遠く房総、伊豆、大島等一望できる絶景でした。

展望台絶景



これから更に30分くらい尾根沿いに歩くと、砲台山(204m)三浦富士(183m)に到着します。
三浦富士は富士山に見立てた山岳信仰で、7月8日には江戸時代から伝わる伝統行事「お焚き上げ」が行われ、武山と共に、漁師たちの会場からの道標で有りました。
三浦富士の頂上です。


三浦富士1



三浦富士2



ここから約1時間、急坂を転がるように降りていくと、京急長沢駅に到着しました。
途中、急なため降りる際ロープの張っている場所もあり、なかなかもものでした。

長沢駅



実質3時間半の山歩き、すぐ自宅に帰れる便利さ、これからも病み付きになりそうです。

次回もお楽しみにして下さい。


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【2007/05/01】  この記事のURL | 三浦半島そぞろ歩き | CM(0) | TB(0) | ▲ top
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